Picasa ピカサ サチュレーション、モノクロフォーカルの併用

 

サチュレーション、モノクロフォーカルの併用 >   アート的な画像にしたいためなのでしょうか、このような(Picasa・ピカサの)サチュレーション白黒フォーカルルの併用による化ける(化学反応を起こしてる)ような画像をつくってます。 原画写真は左、Picasa・ピカサで右は <サチュレーション> により彩度を上げ、それを <モノクロフォーカル> によって中央部のみ色を残し周囲をモノクロにしてます・・・また、カラー部分とモノクロ部分の境目などもぼんやりさせるかくっきりさせるを工夫することもできます。 この写真では、境目をぼんやりさせてます。 このような極端な加工をすれば、かなり画質の劣化を招きます。 それがかえって、アート的なアナログ的な芸術的な画像を生むのかもしれません。

二枚の比較写真

 

風景写真は撮りますが、風景画は描きません。 それはたぶん、風景は写真で撮れば十分などと考えているのでしょう。 また、風景を描くのであれば、外でイーゼルを立てて描かねばなりません、それはなんだか恥ずかしいような気がするのです。 写真もですが、その作品のほとんどは人物です。 上の写真にしても、女性人物像を撮ってますから、アングルは常に人に向いているということです。 また、風景はこのような(Picasa・ピカサによる)極端な編集には耐えられませんが、人物であればアート的な作品となるとも多く、その意味でも人物を撮り、そして描きます。・・・話の内容がそれますが、「人物像はなぜヌードが多いのか?」という素朴な疑問があるかもしれません。 その理由は・・・服を着ていれば、その時代やその服の形などに規制され、その本質(芸術的であること)が見えにくい(見失われがちである)ことに因してます。 だから、ヌードという普遍的な姿を像にすることになります。 ヌードの像の多くが女性であることから、「女性蔑視である!」と論じる方もいますが、本質 (芸術性)という意味を理解してないことからそのような発言があるのだと思われます。 ヌードこそ最も美しい姿である!と考えれば、蔑視ではなく崇拝に近いものともとれます。 多感な若者たちを変に強く強調する・・・という意見もありますが、最近の若者は "この程度" は見慣れていると思われます。 それよりも、考えさせられることは、生の女性でなく、(ツルツルな本質 な肌を持つ)フィギュアな人形を好むような男性が多くなってきていると思われることです。 

裸婦の素描・腰の姿 観光地の街の坂道 モノクロ・鉛筆画

編集か恋した風景 女性の素描・足を開いた状態のポーズ 色彩の強さを増すための編集・風景