Picasa(ピカサ)で編集加工 ヌード・コラージュ

 

デッサン画像

 

 

 

そのままの姿を愛する >   何かトラブルがあれば、そのことについてよく話し合うことが大切です。 それは確かなことですが、ここから先が問題です・・・よく話し合うことは、お互いの溝を埋められるということを言いますが、それはたぶん詭弁に近いもので、(お互いによく話し合うことの意味は)お互いの違いをより深く認識することであり、その違いを尊重しあうことなのです。 愛することに関して言えば、溝を埋めるということではなく、お互いの違いを認め合い、お互いのそのままの(違いのままの)姿を愛することなのです。 この画像は Picasa(ピカサ)のコラージュで編集してますが、ヌードクロッキーをする動機は、女性の在りのままの姿を喜ぶことから始まります。 したがって、見えた通りをそのまま描いてますし、自然のままの飾らないヌードを再現することに全神経を集中してます。 特別に飾り立てて描こうなどという気もありません。 そのままの姿を愛することから始まります。

コラージュ画像

<セルフヌードについて> 10年位前からでしょうか、女性でセルフヌードを撮る方がいることを知ったのは。  女性のカメラマン(カメラマン志向)の方は、概してメカニックなことには拘りません、要はカメラの道具には拘らないということです。 アート感覚だけ、いや、(それ以上に)自分感覚に収めることから始めるようです。 街や風景を撮っても、何をどう撮ったらよいのか分からない、何をもってよい写真としているのか分からない・・ということのようです。 そうこう迷っているところに、自分を撮ってみよう、それもヌードで撮ってみようと思うようになるそうです。 セルフも辞さない女性心理・・・「セルフヌードも辞さない・・」ところに行き着く女性心理は(男性としては)想像しにくいのです。 ここからは勝手な推測なのですが・・・「セルフヌードも辞さない・・」とはいえ、その写真を人に見せる(発表する)ことを前提として撮っていくことになります。 人目に曝さないのであれば、良くも悪くも拘りのある写真にはならないのでしょうが、他人の目に曝すことを前提とすれば、誰にも見られていないところで撮影しているにもかかわらず「密室の規制」はかかってきますし、格好よく見せるのではなく欠点をも曝け出してしまうような ”(ある種の)告白”のような写真になりそうなのです。 精度の高い道具を使って上手な写真を撮ろうとか、上手く見せようなどということではなく、自分の感覚に収めようとすることは(自己表現という意味では)アートの原点でもありますし、密室の規制には縛られるとはいえ、”内なる告発”ともなれば、その写真を観る側にも興味をそそられることにはなります。 どのような写真であれ、人の目に曝さないのであれば自己完結してしまうのでしょうが、人の目をとおしてそのままの姿(セルフヌード)を愛そうとする試みなのでしょうね。 写真を褒められることよりも、そこに写っている自分のそのままの姿を認められたいのでしょうか。

セルフヌード

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