「山田都和子」 人物図鑑                        Nikon D3<back    next>人体は魂を宿す殻である

山田都和子「光ファイバーちゃん」

 

世紀末の絵画を想わせる 「フォトセッション」

白黒画像だからでしょうか、背景とドレスの模様からでしょうか、世紀末の絵画を想わせます。 画面全体を覆う黒やグレーの中に人の肌の艶やかに白く映える姿がとても美しく感じます。 Picasaを使った <白黒加工>

真ん中の画像は100年も前に描かれたデザイン風なモノクロ画。 このような絵画の領域においては100年も前からさほどの進化はしていないと言える。 この世紀末の絵画とラファエル前派は同時代になるのだが、その区別はよく分からない。 ラファエル前派と言われる人たちの中でもとりわけ バーン=ジョーンズ( Burne-Jones, 1833〜 1898)が好きである。 その遺伝子を共有できてるような気がしてならない。 他人のそれも100年以上も前に描かれた絵とは思えないのである。 自分が隠したい自分までをも、そこには描き込まれていた。 

画家が絵を描くとき、80%位の力で描いているように見せることが多い。 実はギリギリの98%位で描いてはいるのだが、そう見えると絵の本質が薄れてしまうことを本能的に知ってからなのだ。 また、意識的に力を入れて描く部分と力を抜いて描く部分を画面の中で分けていく・・・カメラで言うところのF値をさげて背景をぼやかして撮影することに似ている。 絵画はその本質を大切にすることから、描写を80%位に抑えて描くことが常識であるが、ラファエル前派の人たちは120%で描き抜いている。 また、画面全体に不健康さが漂っている。 それらのことが理由なのだろうが、絵画の王道から外れていると評価される・・・王道にある必要はないと思うが。 ビートルズが(音楽というよりも文化として)その時代を代表するように、ラファエル前派は絵画というよりは(その当時の退廃的な時代背景を物語る)文化として語られることが多い。 同様な内容を含むものでも、文学であれば ”正当” に評価され、絵画であるから異端視されたのだろう。 文学は ”内容” であるが、絵画は絵(色やフォルム)そのものであり、その時代背景を含むものを好まないのかもしれない。

 

 

         

 

 

人体は魂を宿す殻である グラマラスなボディー <モノクロフォーカル> 美しいポーズ ポートレイト 表情の変化

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